大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックス!承久の乱はなぜ起きたのか?:3ページ目
エピローグ
「いざ進め!いまだ兵は集まらずとも、雲は龍に従うものぞ!」
ひとたび戦うと決めた以上、箱根(現:神奈川県箱根町)の天嶮で官軍を待ち受けるより、胸を張って堂々と、京都を目指して進軍させます。
「後は、果報を待つのみ……」
果たして勝利を納めた義時は、それまでの緊張がほぐれてドッと疲れが出たせいか、元仁元年(1224年)6月13日、62歳の生涯に幕を下ろしたのでした。
※政子も嘉禄元年(1225年)7月11日に69歳で世を去っています。
「……我が成しうることはすべて成した……あぁ、強敵(とも)たちよ……そなたらと戦いながら築き上げた『武士の世』が、いよいよの完成じゃ……そなたらの犠牲も、これで少しは報われようぞ……」
かつて鎌倉に幕府を開いたものの、その心はどこか生まれ故郷の京都に向かい、朝廷との融合を望んでいた頼朝公以下三代の源氏将軍。
対して義時たちは、朝廷から半ば独立して「武士の手による、武士のための武士の世」を実現せしめた点において、頼朝公以上の偉業を成し遂げたと言えるかも知れません。
さて、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、義時の葛藤と決断がどのように描かれるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』中公文庫、2004年11月
細川重男『北条氏と鎌倉幕府』講談社選書メチエ、2011年3月