全ての政治家は上杉鷹山を見習うべし!米沢藩を救った民福主義の改革とは【後編】:2ページ目
民の父母として官民一体の改革を実践
米沢藩藩政改革に着手した鷹山が最初に行ったのは、定石通りの大倹約令でした。しかし、どれほど頑張っても倹約だけでは問題の解決にはなりません。そこで鷹山は発想を転換します。
領民を大切にする「民福主義」のうえに、自らが「民の父母」になることを誓うのです。それは、藩主である鷹山が主導することで、武士である藩士、領民である農民・商人・職人が一体となって改革にあたることでした。
そして、「民の父母」として、「してみせて 言って聞かせ させてみる」をモットーに行動を開始します。
山本五十六にも影響を与えた鷹山の言葉
太平洋戦争時、連合艦隊司令長官を務めた、山本五十六にも影響を及ぼしたといわれる、鷹山の「してみせて 言って聞かせ させてみる」という信念。
●「してみせて」とは、鷹山自身が範を示すこと
●「言って聞かせ」とは、改革の目的を明確化、それを家臣と領民に話し改革が実現すればどれほどのメリットがあるのかを理解させること
●「させてみる」とは、各々に役割を与えて、官民一体で改革を行うこと
「改革への道のりは、暗闇の中を手探りで進むようなものだ。しかし、先頭に立つ自分を信じてついてきて欲しい。
上下の身分を問わず一丸となって事に当たれば、やがて暗闇の向こうに光が見えてくる。その先には輝くような明るい未来がある。」
こうした鷹山の言動に、藩士から領民に至るまで改革の機運が盛り上がります。
武士たちは、農民に代わり荒れ地を耕作したり、養蚕を行ったりと、改革の先頭に立ちました。これを見て、領民たちもすすんで改革に参加、米沢藩政改革は大きく前進していったのです。