御朱印は元々納経の証明書だった?御朱印が現在の形になるまでの驚きの歴史:2ページ目
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「御朱印」という呼称も現在のような「御朱印帳」の登場も昭和から
そんな巡礼スタイルに変化が現れたのは、江戸時代のこと。
「六十六部」で納経した巡礼者たちは、納経請取状を受け取る代わりに「マイ納経帳」を持参し、それぞれの寺社で記帳と納経印をもらうようになりました。「マイ納経帳」は四国や西国の巡礼者にも真似されるようになり、広く広まっていくこととなりました。
さらに明治時代になり「神仏分離令」が発令されると、納経印も寺社のもの・神社のものとそれぞれ別になり、さらに「六十六部」も納経も廃止されます。これにより、納経の証明書だった納経印が「参拝した帰りに押してもらうもの」という現在の御朱印に近いものに変化していったのです。
その後
「寺社の御朱印を集めるとご利益がある」
という言い伝えまでも広がり始めました。
そして昭和の初期には「スタンプ収集ブーム」が起こったこともあり、寺社は他の様々な場所のスタンプとの差別化をはかるため、現在呼ばれている「御朱印」という呼称を使用するようになりました。
蛇腹折りの「御朱印帳」も大正時代には既に登場していましたが、これが「御朱印帳」と呼ばれ市販されるようになったのも、昭和に入り「御朱印」という呼称が広まった頃のこと。
このように元々は納経の証明書だった御朱印なので、寺社の御朱印をフリマサイトで転売しても、買った人に御利益があるのかどうかは非常に疑わしいところですよね。
参考
・『日本人が大切にしてきた伝統のウソ(KAWADE夢文庫)』
・御朱印の歴史
・朱印 (神社仏閣)/Wikipedia
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