戦国最強の騎馬隊。武田軍の「赤備え」を組織した兄弟武将【後編】
戦国期の日本には「赤備え」と呼ばれる真紅の甲冑を纏った精鋭部隊が存在した。
【後編】では、赤揃えの先駆けとして武田騎馬隊を組織し、後世の武将たちにも影響を与えた兄弟についてご紹介する。
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戦国最強の騎馬隊。武田軍の「赤備え」を組織した兄弟武将【前編】
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飯富虎昌(おぶ とらまさ)
「赤備え」部隊の先駆けと考えられている人物である。甲斐源氏の一族であり、信玄の父である信虎の時代から甲斐武田氏に仕えた。1530年代には関東の北条氏や、信濃の諏訪氏などとの戦で武功を挙げ、寡兵の部隊を指揮し大軍を破るなど多くの武勇が伝わっている。
1541年。信虎の嫡男である晴信(後の武田信玄)を擁立することに成功。以後は信玄に宿老として仕えた。
「赤備え」部隊の組織に関する正確な時期はわかっていないが、1565年に虎昌が没していることから、少なくともそれ以前には武田軍の部隊として機能していたとされる。
部隊は騎馬を中心とする少数で組織され、自領の相続が叶わなかった各家の次男以下の者で編成された。当初、軍の中での位置付けとしては主に先駆け隊(切り込み部隊)であり、真紅の甲冑に身を包むことで敵の目を引き、武功を挙げることを目的としたという。
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