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明智光秀、豊臣秀吉などを見出した人材登用の天才・織田信長の能力主義とは?【後編】

明智光秀、豊臣秀吉などを見出した人材登用の天才・織田信長の能力主義とは?【後編】:2ページ目

信長に見出された出世した人物たち

信長を頂点に方面軍を構成

本能寺の変直前には、信長と嫡男信忠を頂点として、天下統一に向けた大規模軍団が編成されていました。

そして、各軍団長は、いわば方面軍を統帥する師団長的な役目を負っていました。主な方面軍と軍団長は以下の通りとなります。

●畿内方面軍…明智光秀[新参者]
●中国方面軍…羽柴(豊臣)秀吉[新参者]
●北陸方面軍…柴田勝家[譜代・筆頭家老]
●関東方面軍…滝川一益[新参者]
●四国方面軍…織田信孝[一門・信長三男]

方面軍の軍団長5人の内、実に3人が明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益という新参者で占められているのです。

唯一の譜代出身である柴田勝家は、信長が家督を継いだ直後は、公然と反旗を翻していましたが、その後は働きを認められ、織田家の筆頭家老の地位を得ています。

彼らは、信長の下でその実力を思う存分発揮しました。信長もその働きに応えて、彼らを城持ちの大名として抜擢しています。

これは、信長が打ち出した能力主義を如実に裏付けている証拠ではないでしょうか。

軍団長以外にも有能な人材を蓄積

軍団長以外にも、森可成・丹羽長重・佐々成政・前田利家などが能力を認められ出世を果たしています。

もし、信長が生き続けてさらに全国支配を続け、あらたに方面軍が新設されたとしたら、彼らが任命された可能性が高かったことでしょう。

なにかとワンマン・独裁的なイメージを持たれる信長ですが、実は緻密な人事によって採用した有能な人材を蓄積し、巨大組織を動かしていたのです。

その手腕はやはり天才と呼ぶにふさわしいものと思われますが、いかがでしょうか?

前編・後編にわたり、ご愛読をいただきありがとうございました。

 

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