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戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その3】

戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その3】

織田氏に屈せず炎に包まれ落命した快川紹喜

しかし、時すでに遅く、それから約4か月後に武田家は滅亡。

快川紹喜は、信長に敵対した六角義定、三井寺の上福院、足利義昭家臣の大和淡路守らを恵林寺に匿い、織田信忠の引渡し要求を拒否したのです。

その後、織田氏により恵林寺は焼き討ちにあいました。

このとき、老若上下、僧俗を問わず百名近くの人間が、山門の楼閣上に押し込められ、放たれた火により焼き殺されました。

安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)
滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し)

織田氏に屈することなく、炎に包まれながら落命する最後の瞬間に快川紹喜が唱えた言葉です。

現在、恵林寺三門脇に快川国師を偲ぶ唯一の遺構である供養塔が佇んでいます。

溢れ出る人間味が快川の魅力

快川紹喜の生き様をどのように感じましたか。快川の生きた時代は紛れもない乱世です。

この時代傑出した僧の多くが、武将に仕え、外交・内政など政治的顧問の役割を担っています。僧でありながら軍師として活躍した人物もいました。

そうした中、快川に感じるのは溢れ出る「人間味」です。あれほど不仲であった斎藤義龍の法要を引き受け、その子の龍興を救うため奔走。

武田家にあっては身の危険を顧みず武田家存続のために尽力。自分を滅ぼした信長についても、ある記録が残っています。

3ページ目 信長最愛の女性の一周忌を恵林寺で行う

 

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