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戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その3】

戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その3】:3ページ目

信長最愛の女性の一周忌を恵林寺で行う

1574(天正2)年、恵林寺で快川が施主・導師として「雪渓宗梅大禅定尼」の一周忌が行われました。

快川の法語によると、雪渓宗梅は「岐陽太守(信長)最愛の女性」であったということです。

この女性を、濃姫(帰蝶)にあてる史家もいます。その真偽はともかく、自分を美濃から追うきっかけとなった信長ゆかりの女性を、快川紹喜は遠く離れた甲斐の地で懇ろに弔っているのです。

今はたとえ敵となったとしても、かつての縁を大切にして、人としてやるべきことは、きちんとやる。こうした人間味に満ちた快川紹喜だからこそ、信玄は厚く信用したのでしょう。

快川紹喜亡き2か月後、本能寺の変で燃えさかる炎の中に没し信長と信忠

歴史は繰り返す……快川紹喜を焼き殺した信長と信忠は、そのわずか2か月後、明智光秀に攻められ本能寺の変で燃えさかる炎の中に没したのでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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