幼くして出家し阿闍梨に…紫式部(まひろ)の異母弟で高位の僧侶に昇りつめた「定暹」とは何者か?【光る君へ】
NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?
筆者も毎週欠かさず観ており、平安時代の文化を味わう日々です。
本作のヒロインであるまひろ(紫式部)には、弟の藤原惟規(のぶのり)以外にも同母姉(藤原為時長女)や異母兄弟がいました。彼らは一体どのような生涯を送ったのでしょうか。
今回は紫式部の異母弟・定暹(じょうせん)の生涯をたどってみたいと思います。
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幼くして出家、阿闍梨となる
定暹は生年不詳、紫式部の弟であれば天元3年(980年)ごろに生まれたものと考えられるでしょう。
母親は不明。恐らく身分が低かったため、幼い内に出家させたものと思われます。
修行を積んだ末に三井寺(園城寺)の阿闍梨(あじゃり)となりました。
阿闍梨とは高位の僧侶に与えられる称号または職位で、皇室に関係する儀式に携わった者に与えられます。
下級貴族の庶子でありながら、なぜそこまでの高位に昇れたのでしょうか。
もしかしたら、藤原彰子(一条天皇中宮)に出仕した(一説に最高権力者・藤原道長と関係を持った)姉が関係しているのかも知れませんね。
なお三井寺では後に父・藤原為時(ためとき)が出家していることから、三井寺と紫式部一族の浅からぬ因縁も感じられます。