幼くして出家し阿闍梨に…紫式部(まひろ)の異母弟で高位の僧侶に昇りつめた「定暹」とは何者か?【光る君へ】:2ページ目
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長保4年(1002年)に亡き東三条院(一条天皇母・藤原詮子)の追善供養が行われた際は比叡山延暦寺に在席する僧侶として法華八講に出仕しました。
法華八講とは法華経八巻を四日間で講じる法会(仏事)で、高徳の僧侶として地位を確立していたことが分かります。
さらに寛弘8年(1011年)に一条天皇の大葬が行われた時は、百僧の一人に入ったと言いますから、よほど高い徳を積んでいたのでしょう。
主な活動はこのくらいになります。その後定暹がいつまで、どのように生きたのかについて、詳しいことは分かりません。
もしかしたら、父や姉たちも見送ったのかも知れませんね。
終わりに
以上、紫式部の異母弟・定暹の生涯をたどってきました。
高僧なのに謎の多い人物でしたが、他にもエピソードがあったら紹介したいです。
もし大河ドラマに出て来るとしたら、藤原詮子(吉田羊)や一条天皇(塩野瑛久)が亡くなるか、為時が出家するタイミングでしょうか。
その時は誰がキャスティングされるのか、楽しみですね!
※参考文献:
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