源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【六】:3ページ目
上洛したい頼朝と、坂東に根を張りたい御家人たち
「……相分かった。なれば坂東の地固めと参ろうぞ」
幸いにして進言を聞き容れた頼朝は鎌倉へと引き揚げて行きましたが、実は御家人たちの狙いは別のところにありました。
「坂東に、武士の別天地を築きたい」
と言っても、別に朝廷に叛逆する訳ではなく、京都とほどよい距離感を保ちながら、自分たちだけで、なるべく気ままな暮らしができないものか……そんなことを考えていたようです。
「ナンデウ朝家ノ事ヲノミ身グルシク思ゾ。タダ坂東ニカクテアランニ、誰カ引ハタラカサン」
【意訳】なんでそんなに朝廷ばっか気にするんだ。坂東にいれば、誰も佐殿をこき使うようなこともなく、自由気ままに暮らせるのに……。
これは御家人の一人・上総介広常(かずさのすけ ひろつね)が頼朝の上洛を諫める発言ですが、これこそが「坂東で自由に生きたい」という御家人たちの願いを端的に表すものでした。
武士はその発祥より百年来、ずっと公家たちの地下人(じげにん)として低く扱われ、朝廷の権威を求めて見苦しく寸土(すんど。わずかな土地)を争い、殺し合って来ました。もう、そんな暮らしは止めにして、自由にのびのび暮らしたい。
早く(自分の生まれ故郷である)京都に上り、朝廷の権威に基づく「武家の棟梁」として天下に号令したい頼朝に対して、坂東に根を張って、朝廷の干渉を受けない「武士の別天地」を夢見た御家人たちの違いが、後に義時たちをして「武士の世」を真の意味で築かしめる原動力となったことでしょう。
【続く】
※参考文献:
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月
坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年12月
阿部猛『教養の日本史 鎌倉武士の世界』東京堂出版、1994年1月
石井進『鎌倉武士の実像 合戦と暮しのおきて』平凡社、2002年11月