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戦国時代、結婚を拒んで壮絶な最期を遂げた悲劇の美女・藤代御前の怨霊伝説【下】

戦国時代、結婚を拒んで壮絶な最期を遂げた悲劇の美女・藤代御前の怨霊伝説【下】:3ページ目

エピローグ「我が亡骸を、藤代御前の墓の上に葬れ」

「……おのれ、あのアマ……」

いよいよ臨終も近づいた病床の為信は、後継者に指名した三男の津軽平蔵信枚(へいぞう のぶひら)に、遺言を伝えました。

「平蔵……これは藤代御前の祟りじゃ……このままでは、我ら一族ことごとく滅ぼされてしまう……よいか……我が亡骸は、岩手川のほとりに埋めてある藤代御前の墓の上に葬れ……我は降魔の鬼となり、彼奴めを取り押さえてくれよう……」

「御意」

為信の死後、信枚は遺言通りに藤代御前の墓に覆いかぶせる形で為信の墓を建立。現地を管理させるために、他所にあった革秀寺(かくしゅうじ。現:青森県弘前市)をそこに移転させました。

ちなみに、為信を葬った直後、革秀寺は火災に遭って焼失。慶長十五1610年に再建されてからも紆余曲折を経て現代に至り、今なお為信は藤代御前の怨霊を取り押さえ続けていると言います。

もしかしたら、藤代御前への未練が断ち切れぬまま地獄の果てまで追い駆けているのかも知れませんが、せめてあの世では、みんな怨恨や煩悩から解放され、心安らかに暮らして欲しいものです。

【完】

※参考文献:
青森県文化財保護協会『津軽歴代記類』青森県文化財保護協会、昭和三十四1959年
稲葉克夫『青森県百科事典』東奥日報社、昭和五十六1981年

 

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