【検証】やっぱりいい国(1192年)鎌倉幕府…その成立年に関する諸説を検証してみた:2ページ目
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カギは武家の棟梁≒征夷大将軍
そして残るは、建久元1190年説と建久三1192年説。常設武官の最高位である右近衛大将であれば、武家の棟梁に相応しいと思われなくもありません(そもそも幕府とは近衛大将の唐名=別称だから、という事で、その叙任を幕府成立の根拠としています)。
しかし、江戸幕府の徳川家康は左近衛大将に叙任されているものの、室町幕府の足利尊氏は近衛大将に叙任されたことがなく、ここでも幕府の定義が破綻してしまいます。
頼朝公と足利尊氏、そして徳川家康の三人に共通する武官の最高位は征夷大将軍であって、それまでいくら政権体制が充実していても、武家の棟梁として名実ともに「幕府を開いた」と称しうるのは、やはり征夷大将軍の叙任と見なすのが妥当でしょう。
※なお、幕府という名称は江戸時代以降に用いられており、それぞれ開いた当事者たちが「幕府を開く」と言ったことはありません。あくまで後世の者が「武家の棟梁による全国規模の支配体制」を便宜上そう呼称しているだけです。
まとめ
以上のように、幕府の成立は(1)支配体制の充実と、(2)朝廷による承認≒征夷大将軍の叙任という両条件を満たし、名実ともに「武家の棟梁」となることが前提となります。
よって鎌倉幕府の場合は、既に全国の支配体制を整えていた頼朝公が征夷大将軍に叙任された建久三1192年をもって成立とする定説が妥当でしょう。
日本の統治権力は、あくまでも朝廷(皇室)の権威によって裏づけられる……建国以来、連綿と受け継がれた日本人の知恵に基づいて、先人たちの事績を学んでいきたいものです。
※参考文献:
石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』中公文庫、2004年
河内祥輔『頼朝の時代―1180年内乱史』平凡社選書、1990年
野口実『武家の棟梁の条件―中世武士を見なおす』中公新書、1994年
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