モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【一】:2ページ目
清国に支配されていたモンゴル族の青年、日清戦争の勝利に希望を見出す
バボージャブ(巴布扎布)は清朝末期の光緒元1875年、内蒙古のジョソト(卓索図)盟トゥメト(土黙特)左翼旗、現在の中国遼寧省阜新市に生まれます。
19世紀末のモンゴル族は、かつての大帝国もすっかり影を潜めてその版図を縮小。北はロシア帝国、南は清朝に脅かされながら、南北両大国の緩衝地帯として命脈を保っている状態でした。
こと南モンゴル(内蒙古)は万里の長城を越えて清国から多数の農民が流入し、強引に農耕開拓を行ったため、すっかり砂漠化が進み、国土は荒れ果ててしまいます。
(※この地域は元々降水量が少なく、農耕には不向きでした。わずかに生育する草木を家畜に食べさせることで人間が摂取できる栄養源に変換する遊牧生活は、厳しい自然に生きるモンゴル人たちの知恵だったのです)
自然の恩恵を授かる遊牧生活を維持できなくなったのか、バボージャブが10歳になった光緒十1885年ごろ、一家は彰武県大冷営子(同市内)に移住。農業を手伝ったのか、あるいは都市部へ奉公に出たのか判りませんが、いずれにしても苦労が察せられます。
そんなバボージャブが19歳となる光緒十九1894年、清国が大日本帝国と称する東洋の島国と戦争を起こしました。
後世「日清戦争」と呼ばれたこの戦争で、アヘン戦争の敗北以来、欧米列強に領土を蚕食されつつもなお「眠れる獅子」と恐れられていた清国……それが東洋の小国・日本に敗れた事によって「眠っていたのは(=清国は)獅子ではなく、ただの肥った豚だった」と世界中に知れ渡る事となったのです。
近代日本にとって大きな一歩となった勝利ですが、これを喜んだのは日本人だけではありませんでした。
「もしかしたら……モンゴル族が独立を勝ち取れるかも知れない!」
これまでモンゴル族を支配していた清国は、絶対の存在ではないことを確信。そして幕末以来の近代化によって着実に国力を伸ばしている日本と連携すれば、民族独立の希望が見えてくる……バボージャブ青年は、大いに昂揚した事でしょう。