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モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【一】

モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【一】

日露戦争勃発!花大人こと花田仲之助に見い出され、満洲義軍に参加を決意

そんな昂揚感の中で結婚したバボージャブは長男・ノンナイジャブ(濃乃扎布)と次男・ガンジョールジャブ(甘珠爾扎布)を授かり、貧しいながらも幸せな家庭を築き上げていた光緒二十九1904年、今度は日本がロシアと開戦したのでした。

「皇国の興廃はこの一戦にあり……」

後に日本海の決戦(対馬沖海戦。明治三十八1905年5月26~27日)に臨んだ日本の連合艦隊司令長官・東郷平八郎(とうごう へいはちろう)提督が、「もう後がない」と不退転の覚悟でZ旗を揚げたこの戦いは、誰の眼にも勝算なしと見られていました。

十年前の日清戦争では「眠っていたのは、獅子ではなくて豚だった」というオチがついたからどうにか勝てたものの、今度は冬眠明けの気が立ったヒグマ。何より15世紀の大航海時代からこの数百年、有色人種が白人国家に勝てた例(ためし)はありません。

「……だったらどうするんだ?このまま日本がロシアに敗れるに任せ、『やっぱり白人様には勝てないんだ』『俺たちモンゴル族は、未来永劫ロシアと清国の奴隷でいるしかないんだ』って、いじけた人生をただ引き延ばし、惨めに命を永らえるのか……?」

否、否……断じて否だ!……ついにバボージャブ青年は立ち上がりました。ここで日本を見捨てたら、俺たちモンゴル族は、いや黄色人種は、ずっと大国のエゴに虐げられたままだ!

そんなモンゴル族たちの熱い思いと民族独立の野望を知っていた日本側は、「花大人(ホァ・ターレン)」のあだ名で大陸民衆に親しまれていた陸軍の情報幹部・花田仲之助(はなだ なかのすけ)予備少佐を派遣します。

「満蒙(まんもう。満洲&モンゴル)人を組織して、ロシア軍を後方から攪乱せよ」

「了解しました」

特命を受けた仲之助は、さっそく「満洲義軍(まんしゅうぎぐん)」を結成、各地で義勇兵を募ります(もちろん、清国およびロシアの支配下ですから、大っぴらには出来ません)。

「……バボージャブさんですね……今夜20:00、町はずれの酒場までお越し下さい……」

何だかスパイ映画のような展開にワクワクしながらバボージャブが行ってみると、そこにはあの「花大人」が、例によって胡散臭いオーラを発しつつ、怪しげな男たちと談笑していました。

「……お待ちしておりました、バボージャブ先生……」

「そんな勿体ない……私など小巴(シャオバ)で十分ですよ……」

さっそく本題に入った仲之助は、モンゴル族の栄光を賞揚しながら、彼らの置かれた理不尽な現状に義憤を表わし、ロシア・清国からの軛(くびき)より解き放たるべきと訴えました。

(※仲之助は以前、僧侶に扮して各地を説法行脚しながら情報収集の任務に当たった経験があり、話術に巧みだったそうです)

「……そこでバボージャブ殿のお力を借りたいのです。馬の上で生まれ育った、偉大なるチンギス=ハーンの末裔であるあなたの力が……」

モンゴル族の誇りをこれでもかと刺激し、永年抱え込んできた鬱屈を心底理解してくれた。そして自分たちの可能性に、ここまで期待してくれている……すっかり花大人に魅了され、喜びに打ち震えるバボージャブが首を縦に振らない理由はありませんでした。

【続く】

※参考文献:
楊海英『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』文藝春秋、2014年11月
波多野勝『満蒙独立運動』PHP研究所、2001年2月
渡辺竜策『馬賊-日中戦争史の側面』中央公論新社、1964年4月

 

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