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映画やドラマで取り上げられる「吉原炎上」吉原遊郭の歴史は火災の歴史でもある

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吉原を何度も襲った火災の原因は、遊女への待遇のひどさ?

火事が多かった江戸とはいえ、ここまで吉原が何度も火災の被害に見舞われた原因は、いったい何だったのでしょうか?

1855(安政2)年に関東地方南部を襲った「安政江戸地震(安政の大地震)」による出火など、天災によるものももちろんありました。しかし「梅本屋事件」のように、楼主の虐待に怒った遊女たちによる放火も決して少なくはありませんでした。

この事件は、梅本屋の遊女が楼主からの折檻により死亡し、他の16名の遊女たちが店に放火した上で番所に自首し、楼主の日頃の虐待を訴えたものです。

楼主には家財没収・遠流という刑が下されましたが、このようなひどい仕打ちを日常的に受けていた遊女や遊女見習いの少女たちが耐えかねて店に放火した例は、他にも何件かありました。

当時、放火は死罪となる大変な重罪でしたが、遊女へのひどい扱いは江戸幕府も知るところだったのでしょう。
放火をした遊女たちには死刑ではなく、流刑や押し込め(幽閉)などの刑が言い渡されています。

参考
・『浮世絵に見る江戸吉原』佐藤要人:監修 藤原千恵子:編/河出書房新社
写真と新聞記事で見る「吉原炎上」
日々 遥か/吉原遊女の反逆
Wikipedia/吉原遊郭

アイキャッチ画像
八百屋お七(月岡芳年 画)

 

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