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実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【三】

実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【三】:3ページ目

会津藩お預かりで「身ぼろ組」を卒業

そう思われていたことは身ぼr……もとい壬生浪士組の面々も承知していたようで、志だけで京都に残ってみたはいいけれど、資金源もないままでは単なる破落戸(ゴロツキ)集団で終わってしまいます。

「おぃ新見さん、どうすンだよ」

市中見回りと称して京都の街をぶらついてはチンピラに喧嘩を売ったり、商家に押しかけては用心棒代をせびったりする生活に飽きてきた五郎が、新見錦に詰め寄ります。

去る3月に将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)が上洛した際、その警護の名目で来た(壬生浪士組として居残った)にも関わらず、幕府の役人からまるで相手にして貰えなかったこともあって、京都に居続ける理由を見いだせなくなっていたのです。

「……まぁ焦るな平山君。芹沢先生には……ちゃんと考えがある」

と言うのも、京都守護職を務めている会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)が、その激務ゆえ「猫の手でも借りたい」と勤皇報国の人材を求めているそうで、壬生浪士組に白羽の矢が立ったとの事でした。

「おぃ喜べ……俺たちは会津藩のお預かりになったぞ」

近藤勇と一緒に帰ってきた芹沢鴨がそう告げると、一同は「これでいよいよ、御公儀のお役に立てる」と喜び勇んだのでした。

【続く】

※参考文献:
永倉新八『新撰組顛末記』新人物往来社、2009年
箱根紀千也『新選組 水府派の史実捜査―芹澤鴨・新見錦・平間重助』ブイツーソリューション、2016年
流泉小史『新選組剣豪秘話』新人物往来社、1973年

 

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