憎まれっ子、世に憚る!父親の仇討ちで新選組に入隊した三浦啓之助の生涯を追う【上】:2ページ目
周囲の懸念もどこ吹く風……頭を抱える土方歳三
「お父上の仇討ちとは誠に孝心の至り……よろしい!この近藤勇、喜んで啓之助殿に御助力致そう!」
事情を聴いた新選組の局長・近藤勇(こんどう いさみ)は、啓之助の心意気に打たれて彼の入隊を大歓迎。さっそく側近の一人に加え、平隊士でありながら何かにつけて優遇したそうです。
しかし、これを憂慮したのが啓之助の義伯父に当たる勝海舟(かつ かいしゅう)。
「おぃ恪二郎……いや啓之助。大丈夫かい?いくら仇討ちだからって、何もつるむに事欠いて攘夷派の新選組てなぁ、親爺と思想的に真逆じゃねぇかよ」
同じ頃、京都所司代を務めていた桑名藩主・松平定敬(まつだいら さだあき)も、松代藩主に対して象山の死による佐久間家の断絶処分を見直し、啓之助を国元へ呼び戻すよう打診しています。それだけ心配されていたのでしょう。
また、新選組の内部でも(啓之助が象山の息子である)事情を知っている副長の土方歳三(ひじかた としぞう)や一番組長の沖田総司(おきた そうじ)らが、啓之助の父親譲りの性格で上手くやっていけるか心配しており、実際に啓之助は傲慢な言動で周囲の反感を買っていたようです。
「お前らなど、しょせん剣術や腕っぷしばかりの乱暴者……新しい日本国の未来は、剣術ではなく頭脳で切り拓くものさ……」
だったらその頭脳とやらで父親の仇を討ってみろ!……と言いたいところですが、局長である近藤勇が啓之助をことに可愛がるものですから、滅多な手出しは出来ません。
「まったく、近藤さんは器が大きすぎると言うか、人が好過ぎると言うか……」
そんな啓之助の素行がより悪化したのは、慶応元1865年に入隊した諸士取調役兼監察の芦谷昇(あしや のぼる)とつるみ出したのがキッカケのようです。
こりゃどう見ても、父親の仇討ちなんて忘れている……あまりの乱暴狼藉にとうとう愛想を尽かした土方は、啓之助を呼び出して松代に帰藩するよう説得しています。
「啓之助殿。御父上の仇である河上彦斎も、今や京都を離れて長州に身を投じた様子……ここは一度、帰郷して様子を見てはどうだろうか」
しかし啓之助は「松代の片田舎に帰ったところで面白くない」とでも思ったか、これを拒絶。近藤局長のお気に入り、そして佐久間象山の息子でなければ、さっさと「士道不覚悟」でも何でも理由をこじつけて切腹させてやりたいところですが、そうもいかない土方歳三は、頭を抱え続けることになったのでした。
※参考文献:
前田政記『新選組 全隊士 徹底ガイド』河出文庫、平成十六2004年1月
新人物往来社『新選組大人名辞典(下)』新人物往来社、平成十三2001年2月