お江戸の庶民は超グルメ!?初物文化や外食文化、さらには9万円のお茶漬まで登場:2ページ目
江戸時代から外食文化はあった
将軍のおひざ元である江戸には農家の次男や跡を継げない独身男性など多くの若い働き手がいました。多くの男性は料理を作ることを億劫になってしまうので、外食の需要が高まってきました。
その影響か江戸時代の後半になると江戸には蕎麦屋、寿司屋、居酒屋などの食べ物屋が5軒に1軒は立ち並ぶようになりました。
お店は様々で庶民が気軽に立ち寄れるところや高級料亭もあり、現代と変わらない文化がこの時代からできあがっていました。
お値段なんと9万円!?超高価なお茶漬があった!!
江戸の庶民は朝に炊いた白米を夕食でお茶漬にして食べていました。そんな手軽に食べることの出来るお茶漬を浅草にあった「八百善」という料理屋だけはお茶漬に対して強いこだわりを持っていました。
そのこだわりは米とお茶から始まり、どちらも最高級品を使用していました。
さらに注文を受けてから武蔵野の玉川まで水を汲みに行くというので、できあがるまで半日かかっていました。
そのようなこだわりから1杯に1両2分(約9万円)の高値が付けられていたので、話題となっていました。