優しさが命取り!新選組の中で唯一、女性問題で切腹した組長がいた!:3ページ目
死因はとある女性との心中だった…
慶応元年(1865)3月に組長に任命された忠司でしたが、その年の6月には平隊士に降格しています。この原因は諸説ありますが、特に有名なのが女性との心中です。
これは酒に酔った忠司が浪人と口論になり殺害した浪人の妻の面倒を見ていることを上層部に見つかってしまうという内容です。そのことで責任を取る形で切腹をした忠司でしたが、運悪く切腹できずに生き残ってしまいます。
生き残っても上層部の信頼を失った忠司は平隊士に降格してしまい、ついには慶応元年(1865)の9月に浪人の妻と共に心中してしまいます。これは「壬生心中」と呼ばれています。
他にも未遂でしたが、無断で訴訟に介入しようとして成功報酬を貰おうとしていることを上層部に疑われて切腹しましたが、生き残りその傷が原因で病死したなどあり、非常に謎な死を迎えています。
最後に
道場主であり、温厚な性格で隊士たちから人気だったと思われる松原忠司。真面目なイメージがある忠司は真面目だからこそ女性と関係を持ってしまったのではないかと思います。
こうしてみると忠司が不器用な人間でもあったことが少なからずわかりますね。
参考:菊地明、伊東成郎ほか著『土方歳三と新選組10人の組長』