滋賀県の遺跡で大型の建物跡!邪馬台国時代の巨大勢力の拠点の可能性も
滋賀県彦根市の南部、琵琶湖の東側に位置する『稲部遺跡』。総面積は約20万平方メートルの、弥生時代から古墳時代前期を中心とする大規模集落遺跡です。
田園地帯にあるこの遺跡で、古墳時代前期(3世紀中頃)の大型の建物跡と鍛冶工房跡23棟が新たに見つかりました。これは、同時期の邪馬台国の有力地とされる、奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)に次ぐ規模。
新たに見つかった建物跡などは、邪馬台国から大和政権成立期に存在した一大勢力を物語る遺跡として、日本の国の成り立ちを知る上で重要な手がかりとなる可能性も秘めています。未だ謎の多い邪馬台国が畿内にあったという証拠の一つになるかもしれません。
これまではあまり大きく注目されることのない、ノーマークの遺跡でしたが、魏志倭人伝に登場する30のクニのうちの一つではないかと見られ、熱い視線が注がれています。
発掘された鍛冶工房跡からは、焼けた土が混じった鉄の塊や破片など6キログラムが見つかり、鍛冶や徹を加工する際に使ったと思われる台石や、鉄製の矢尻2個なども見つかりました。当時は国内に製鉄技術がなく、徹の延べ板を朝鮮半島から取り寄せ、武器や農具などのさまざまな道具を作っていたと考えられます。
首長の住居や倉庫とみられる建物跡も確認されました。建物は1辺が10数メートル規模で、柱を立てた穴の直径は最大で1.5メートルにもなる大きさ。抱えきれないくらいに太い柱が立っていたのかもしれません。
周辺からは朝鮮半島の土器が出土していることから、渡来人が加工技術を伝えた可能性も考えられるそうです。他にも、福井、岐阜、静岡、奈良、鳥取など各地の時も出土していて、当時の物流拠点的な遺跡とみられるそう。当時の近江の勢力の大きさがうかがわれます。
現段階では遺跡の20%しか発掘されていないとのこと。これからの継続的調査でさらに重要なものが見つかるかもしれませんね。日本の東西を結ぶ地域に君臨した謎の一大勢力だなんて、歴史ロマンが溢れます。今後の調査からも目が離せません。
[画像出典] 中日新聞, 産経WEST, 毎日新聞 [Source] 稲部遺跡 – 全国遺跡報告総覧滋賀 彦根の遺跡に巨大建物跡 巨大勢力の拠点か・NHKニュース