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古来日本では「日傘男子」は日常的風景だった。幕府が男性の日傘を禁じたこともあったほど

古来日本では「日傘男子」は日常的風景だった。幕府が男性の日傘を禁じたこともあったほど

贅沢である!と幕府が禁止

寛政期に入ると、天保の大飢饉後に続く「寛政の改革」で緊縮ムードが世を覆ったのか、日傘の製造や使用が制限され始めます。

繰り返される贅沢禁止の御触れ!江戸時代の倹約令ではどんなことが制限されたの?

江戸時代、庶民たちに出された町触には、様々なものがありました。その中でも特に重要なものは、高札場に高札を出して提示されていたとのこと。風紀を正しくし財政再建するためには、倹約令が欠かせませんで…

寛延2年(1749)、京都で大人の日傘使用禁止のお触れが出ます。特に男性の日傘使用が厳しく禁じられたようです。

また、加藤 曳尾庵(かとう えいびあん)という水戸藩士で文人・医師である人物が記した随筆『我衣』には、江戸町奉行の水野備前守も日傘に対し苦言を呈したと記してあります。

文化・文政期(1804~30)になると、老中・松平定信が財政再建のため、いわゆる「贅沢禁止令」を発効します。娯楽本・髪型・簪の数、着物の柄や素材など様々なものが制限・制約されました。日傘を目にするのは歌舞伎の芝居道具か花魁道中ぐらいになったようです。


弘化年間(1844~47)に入ると、ようやく日傘が市中で見られるようになりますが、おおっぴらに解禁ムードになったのは幕末の嘉永年間(1848~1855年)の頃。男女問わず日傘は日常使いされていたといいます。

あたかも日傘は西洋から入ってきた習慣のように受け取られ定着してしまいましたが、日本でも独自の日傘文化があったのですね。

参考:ミツカン水の文化センター

 

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