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幕末時代、カネ目当てで浪士組に入った「偽志士」コンビの末路とは?

幕末時代、カネ目当てで浪士組に入った「偽志士」コンビの末路とは?:3ページ目

商家に押し入って金品を……乱暴狼藉の末に

「……おい、どうする六郎?」

「どうもこうもねぇよ、カネが貰えなきゃ、京都で乞食でもすンのか?」

元々カネ目当てで参加したのですから、清河についていくよりなく、志一つで京都に居残るなんて酔狂は考えつきません。

……という訳で仕方なく江戸に戻ってきた浪士組ですが、これと言ってすることもなく、さりとて満足にカネも入らない中、浪士たちの不満は募るばかり。

古来「小人閑居して不善をなす(大意:志のない者がヒマを持て余すとロクなことをしない)」とはよく言ったもので、喰うに困ればやることはだいたい相場が決まっています。

生活(遊興費を含む)資金の自己調達……世間一般では「強請(ゆすり)」とか「恐喝」などと呼ばれる実力行使です。

「おらぁ!こちとら勤皇の志士様だぞバカヤロウ!」

「天下の為にカネが入用なんじゃ疾々(とっと)と出しやがれコノヤロウ!」

……たとえ自称であっても形ばかりは武士ですから、その目印とばかり腰に差したる大小の刀をちらつかせたりスッパ抜いたり、商家に押し入って金品を奪って遊興三昧……こうなると、もう強盗と何も変わりません。

元々お行儀の悪い連中の集合体ですから、何もこうした乱暴狼藉は六郎と周造に限らなかったでしょうが、この二人は殊更目に余ったのでしょう。

文久三1863年4月10日、ついに六郎と周造は斬首され、両国橋のたもとに晒されたそうです。

ついでにその三日後(4月13日)、清河八郎が同じ浪士組の佐々木只三郎(ささき たださぶろう)らに斬られたことで江戸での攘夷運動は未然に阻止され、浪士組は新徴組(しんちょうぐみ)へと再編されていくのでした。

清河の死は二人が斬られて間もなくの事なので、もしかしたら六郎と周造は清河の側近となっていて、清河の力を削ぐために斬られたのかも知れません。

4ページ目 それぞれ自分の人生を精一杯生きていた

 

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