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江戸時代の蘭学者・高野長英の逃亡を助けた越後の和算家・小林百哺(2)

江戸時代の蘭学者・高野長英の逃亡を助けた越後の和算家・小林百哺(2):2ページ目

百哺のほうはといいますと、幕命によって越後高田藩に台場を立てることになった際に、その設計・増築の指揮を執りました。また、慶応元年の長州征伐や明治戊辰戦争時には、高田藩の砲術・測量方として従軍し、軍功を称されました。

地元で藩校が開設されると、数学教師として教鞭を奮いました。時代が変わり、明治の世になると、地租改正などで百哺の門下生が各地で活躍したと伝えられています。百哺は老後も子弟の教育に尽くし、明治二十(1887)年、八十四歳で死去しました。

現在、上越市にある百哺が開塾した牙籌堂(げちゅうどう)跡には石碑が建てられ、地元の人たちによって大切に守られています。また、同市の五智国分寺境内には百哺の功績を讃える顕彰碑が建てられています。

高野長英と小林百哺。その最後は対照的だった二人の天才ですが、その心の根本には、学問を通じて最後まで通じる部分があったのかもしれません。

もっともその真相は、今となっては後世に生きる我々には計れないのですが…。

アクセス

史跡 小林百浦先生牙籌堂塾跡  上越市中央二丁目 神村書店付近 直江津駅より徒歩約12分
小林百哺顕彰碑 新潟県上越市五智3丁目 五智国分寺境内 直江津駅より徒歩約21分

参考文献:

 

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