女性の宮仕えは玉の輿への道!?平安女流歌人たちのシンデレラストーリー:2ページ目
受領階級の娘から天皇の寵愛を受け、皇子を産んだ「伊勢御息所」
女流歌人としても知られる伊勢は、宇多天皇の中宮・藤原温子に仕えた女房です。『小倉百人一首』の第19番目に
難波潟 みじかき芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
という歌が入っているので、ご存知の方もいるのではないでしょうか。
彼女の父は伊勢守を勤めた藤原継蔭(つぐかげ)だったため、父の官名から「伊勢」という女房名で呼ばれましたが、後に宇多天皇の寵愛を受け皇子を産んだため「伊勢の御」または「伊勢御息所(みやすどころ/天皇の子を産んだ女官のこと。皇后・中宮の下位)」と呼ばれるようになりました。
残念ながらその皇子は早世してしまいましたが、その後彼女は宇多天皇の別の皇子である敦慶(あつよし)親王と結婚し、娘で後に歌人としても知られるようになる中務(なかつかさ)を産んでいます。