本当に12枚も着物を重ねていたの?十二単はなぜあのような形状になったのか?
「ひな人形」の衣装「十二単」
3月3日は雛まつりでしたが、雛人形のお片付けは終わりましたか?ひな祭りと言えば、豪華な平安貴族の装束を見にまとった「ひな人形」が思い浮かびます。「女雛」こと「おひなさま」や三人官女の着ている十二単は、そんな平安時代を象徴するような衣装です。
今回は、気になる十二単の秘密をちょっとだけ覗いてみましょう。
本当に12枚重ねていたの?
「十二単」というくらいだから、着物を12枚重ねていたのかな?と想像する方も多いでしょう。実際はどうだったのでしょうか?実は十二単はその名前のイメージとは違い、身に着けるものの数はそれほど多くはありませんでした。
着る順番としては、
- 素肌に「長袴」を履く
- 肌着である「単衣(ひとえ)」を着る
- 「五衣(いつつぎぬ)」を5枚〜重ねる
- 「表着(うはぎ・うわぎ)」を重ねる
- 正装に欠かせない「唐衣(からぎぬ)」と「裳(も)」を着ける
- となり、「表着」の下に「打衣(うちぎぬ)」を着ることもありました。
「単衣」「五衣」「打衣」「表着」は、全て「袿(うちき)」と呼ばれる同じ形の着物でしたが、「単衣」は裄・丈が他の袿より長く大きめに仕立てられ、逆に「表衣」は「五衣」の襲(かさね)のグラデーションを見せるために、少し小さめに仕立てられていました。
ここまで見ても分かるとおり、十二単は必ずしも12枚重ねるものではなく、季節などによって重ねる着物の枚数が増減するものでした。平安時代の作者不詳の歴史物語として知られる『栄花物語』には、華やかに見せようとして20枚の着物を重ね着した女性が、重すぎて動けなくなったという事件が語られています。
「十二単」という俗称は、「たくさんの着物を重ねている様子」と「重ねた着物の鮮やかさと豊かさ」を表現するために、ゴロの良い「12」という数字が使われるようになり、それが一般的になったものと言われています。
2ページ目 着方はユルいけれど、色のセンスがないのはNG!?
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