江戸幕末の人斬り・岡田以蔵の辞世の句が切なすぎて泣ける:2ページ目
土佐藩士武市瑞山は以蔵にとっては「全て」と言っていいほどの存在でした。身分が低く学もなかった以蔵に、初めて剣術を教えてくれたのが武市瑞山。武市に拾われたお陰で、以蔵の剣術の才能は開花します。以蔵は生きがいを与えてくれた師匠の武市をよほど慕っていたのでしょう、その後はほとんどどこに行くにも武市に随行しています。
しかしこの武市瑞山、タダモノではありません。超過激派の尊王攘夷志士です。彼は佐幕派の土佐藩の藩論を尊王攘夷で統一するために、土佐勤王党を作り、土佐藩テロリスト集団の親玉になります。そして吉田東洋という藩の重臣を暗殺し、大クーデターに成功。これにより土佐藩は一時的に尊王攘夷論に染まります。
それでも武市の過激行動はまだまだ止まりません。以蔵の剣の腕と忠誠心を利用して、京都で佐幕派の暗殺という汚れ仕事をやらせまくるのです。ピュアな以蔵は師匠に認めてもらいたい一心で、京都でテロを繰り返します。
しかしその活躍も時間の問題でした。なぜなら土佐藩は江戸幕府開闘以来、強固な佐幕派なのです。一時はクーデター成功しますが、1863年の八月十八日の政変で過激尊王攘夷派が京都から一掃されると、形成逆転。土佐でも尊王攘夷派の大弾圧が始まります。こうして以蔵や武市は、ついに捕まります。