「あの世」が街にあふれ出す 京都・六波羅の六道まいり
平安京は、街中に墓を作らせませんでした。おそらく、衛生的な問題ゆえでしょう。平安京で人が死ぬと、死体は街の周囲にある野へ放り出されたそうです。多くは埋められることなく、文字通り「放り出された」とか。
死体が棄てられた「葬地」は、京都にいくつかありました。東は鳥辺野、北は紫野、西は化野、南は鴨川にでも流しっぱなしでしょうか。いずれも、死と再生に関わる様々な伝承を現代に伝えてます。また、お盆の季節に死んだ先祖が帰ってくるのも、大抵はこの辺からです。で、その先祖霊を迎える = 精霊迎えで最も有名なのが、鳥辺野のゲートたる六波羅、「この世」と「あの世」の接点である「六道の辻」に立つ、六道珍皇寺の六道まいりでしょう。
昼間は役人として働きながら夜は冥界で閻魔大王に仕えたという小野篁が、「あの世」へ出勤する際に使った井戸が残る、六道珍皇寺。普段は「その筋」の好き者がちょこちょこ訪れる静かな寺ですが、8月7日~10日に行なわれる六道まいりの期間中は、霊を迎えに深夜まで大勢の参拝客が殺到します。
参拝客はまず、縄を引っ張って地下に吊るされた鐘を鳴らし、先祖霊をお呼び出し。売店で買った高野槙に霊を乗り移らせ、家へ連れて帰ります。で、しばしご滞在いただき、精進料理などお供えしたりしたのち、8月16日の五山の送り火であの世へ送り返すというわけです。
六道まいりの頃の六波羅は、強烈にディープです。「轆轤町」なる町名が残る一帯は、普段からディープではありますが、ネイティブの人達がネイティブな理由で集まるこの時期は、強烈にディープです。「濃さ」を醸し出してるのは、六道珍皇寺だけではありません。近所の寺なども連携して「あの世」感をバキバキに放出しています。
ミニ大文字の灯火を行ない、やはり地下の鐘で祖霊を呼び出す、六波羅蜜寺。色彩豊かに業苦を描いた地獄絵&九想図を特別公開する、西福寺。そして、幽霊になった母親が子供のために墓場から飴を買いに来た伝説を持つ「幽霊子育飴」も、夜間営業実施中。正に「あの世」のカーニヴァル状態であります。
六波羅の向こうの鳥辺野には、現在も墓地が多くあります。さらにその向こうには、京都市中央斎場が今日も元気に稼動中してます。現役の「ゲート」でもあるからこそ、六道まいりは強烈なディープさを醸し出してるのかも知れません。
六道珍皇寺 – wikipedia