大河ドラマ『べらぼう』親なし・金なし・風流なしが江戸のメディア王に!蔦屋重三郎の生涯を完全予習【後編】:2ページ目
次々と大ブーム本を手がけた蔦屋重三郎
安永5年(1776)、蔦屋重三郎は彩色摺絵本『青楼美人合姿鏡』を企画・出版。(相版元は本石町の山崎金兵衛)。序文を蔦重自身が手掛けたそうです。
吉原で有名な68人の遊女の姿を、四季の移ろいをテーマに色鮮やかに描いた錦絵本で、浮世絵師・北尾重政(きたおしげまさ)と勝川春章(かつかわしゅんしょう)の競作によるものです。
「狂歌」の世界でも活躍
恋川春町や朋誠堂喜三二といった看板を抱えた「黄表紙」の売れ行きも上々、『細見嗚呼御江戸』の出版権販売権独占など、次々と精力的にビジネスを拡大していった蔦重。
1780年ごろに大ブームとなった「狂歌(きょうか)」(※)の世界に惹かれ、自らも「蔦唐丸」を名乗り狂歌を詠んでいたそうです。
※狂歌:和歌の形式でありながら社会風刺・皮肉・滑稽・卑俗などの内容を詠んだ、遊び心を重視した和歌
その後、1783年には日本橋大伝馬町に「耕書堂(こうしょどう)」という自身の書店を開業します。
狂歌師で御家人の大田 南畝(おおた なんぽ)、浮世絵師で戯作者の山東 京伝(さんとう きょうでん)と親交を深めて、絵本や狂歌本などを出版。
また戯作者・読本作者で『南総里見八犬伝』を書いた滝沢馬琴(たきざわばきん)、戯作者・絵師で『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく)などの新人作家を発掘しプロデュースもします。
さらに、絵師としては勝川春草(かつかわしゅんそう)・鍬形蕙斎(くわがたけいさい)・葛飾北斎などの作品を次々に刊行しさらに、喜多川歌麿を見出し自宅に居候させるほど腕を買いバックアップするなど、まさに江戸の一流プロデューサー版元として、数々の業績を残しています。
トレンドをいち早く察知する感の鋭さ、将来性を見極める眼力など才能に恵まれた蔦重は、「これはいける」と見込んだ人物には躊躇なく力を注ぐという、気前もよく気風(きっぷ)もいい人物だったそうです。