戦国時代の軍議の席順はどう決められた?実力本位で決めていた上杉謙信が基準とした「感状」とは?:2ページ目
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いざこざの火種になることも
戦国時代に話を戻すと、感状は合戦の際に一番槍を上げたり、めざましい働きをした侍に主君から贈られました。その数の多い者が、より上座に座ることができたのです。
会社でいえば、ヒット商品を多く企画した社員や、抜群の営業成績を誇る社員が、社長の近くに座ることになるようなものです。
上杉軍の場合、感状の数が同じ武将の場合は、次に領地の広さが基準となり、それで領地の広さも同格なら、年長のものが優遇されたといいます。
他の大名の間でも、古くは家筋を重視しており、主君の親族らが上座に座っていました。ついで譜代の家臣が座ったようです。
しかしそういう風習を残しつつも、戦いが激しくなるにつれて実力主義を取り入れるケースが増えていきました。
ただ、現代の企業でも「その程度の企画で評価されるなら、オレの営業成績ももっと評価してほしい」という人がいるように、戦国時代も軍功の評価をめぐってよく揉めたようです。
それが、下剋上や裏切りの新たなきっかけになることも珍しくありませんでした。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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