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まひろ、いよいよ内裏へ!紫式部の先輩女房たちを予習 ほか…大河ドラマ「光る君へ」8月25日放送振り返り

まひろ、いよいよ内裏へ!紫式部の先輩女房たちを予習 ほか…大河ドラマ「光る君へ」8月25日放送振り返り:2ページ目

赤染衛門の夫・大江匡衡について

劇中では「夫があちこちの女に産ませた子供を私がみんな面倒みている」みたいに言っていた赤染衛門(凰稀かなめ)。

赤染衛門と言えば、夫の大江匡衡(おおえの まさひら)と大変仲がよく、人々から「匡衡衛門」と呼ばれるほどでした。

創作だから設定を変えるのも許容範囲なのかも知れませんが、ちょっと失礼なんじゃないかと感じています。

赤染衛門と大江匡衡の間には嫡男の大江挙周(たかちか)と江侍従(ごうのじじゅう。大江匡子?)の一男一女を授かりました。一説にはもう一人男子(大江持隆?大江時隆?)がいたとも。

ただし大江匡衡にも側室はおり、伴徳成女(ともの のりなりの娘)との間に大江能公(よしきみ)を授かっています。

ほか養子として林豪(りんごう。僧侶)や大江時棟(ときむね。父親不詳)らがいました。

ちなみに大江匡衡は文章博士を務めるなど高い学識を活かして活躍します。

例えば「長保」「寛弘」の元号を勧進するほか、彰子が生んだ一条天皇の皇子たちに敦成親王(あつひら。のち後一条天皇)・敦良親王(あつなが。のち後朱雀天皇)の御名を選進するなど。凄いですね。

子供の大江挙周も文章博士となって後一条天皇の侍読を務め、また江侍従も歌人として『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新拾遺和歌集』などに和歌を採録されています。

大江匡衡は寛弘9年(1012年)7月16日に61歳で世を去りますが、赤染衛門との関係は、おしどり夫婦として描いて欲しかったです。

3ページ目 藤原彰子に仕える女房たち

 

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