戦国大名と守護大名の違いは?家臣に忠誠心は不要だった!?今さら聞けない戦国時代のキーワード解説:3ページ目
家臣の分類
そして戦国大名の直属家臣は、一門衆・譜代衆・外様衆に区分されることも大きな特徴です。
一門衆は、一族衆・御親類衆・御一家衆ともいい、いわば一族家臣のことです。譜代衆は、古くからの家臣で、大名家の一族でも血縁が遠い場合には譜代として扱われました。
そして外様衆は、新たに服属したもので、新参衆とも呼ばれました。
家臣は、国衆あるいは国人とよばれるような独立した領主でありました。戦国大名に従属しているものの、戦国大名との間に歴然とした身分差が存在していたわけではありません。だから、下剋上という形で重臣に追放される戦国大名もいたわけです。
譜代・外様などの区別は、その後も江戸時代に引き継がれていったのはご承知のとおりです。
こうした直属家臣の下に軍役衆という形で土豪が属することで、家臣団は成り立っていました。土豪というのは、平時は農作業に従事しながら戦時には合戦にかりだされる半農半士のことです。
それぞれの大名家では、一門衆・譜代衆・外様衆からなる重臣を寄親(よりおや)、その配下に属する軍役衆を寄子(よりこ)とする関係が作られていました。
寄親と寄子は、いわば犠牲的な親子関係にあったと言えます。直接の主従関係にないものの、戦時には寄親が寄子を統率し、戦国大名の命令は、寄親から寄子に伝えられました。これを、寄親・寄子制といいます。
この寄親・寄子制は江戸時代には消滅したものの、下級役人の「与力(よりき)」などのように、役職名などに名残が残ったりしました。
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参考資料:
『歴史人 2022年5月号増刊 図解・戦国家臣団大全』2022年5月号増刊、ABCアーク
画像:photoAC,Wikipedia