「島流し」でも酒池肉林のやりたい放題!実際のところ島流しされた後の生活はどうだったのか?:2ページ目
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極楽すぎた平安時代の島流し後の生活
平安時代後期になると、島流しの対象は庶民から権力者へと変化しました。
これには「島流しを取り仕切っていた中央政権が、権力を強める輩のリーダーなどを死罪にするとことで組織全体を弱体化させるという意図があった」という説があります。
反乱を企てたり、政争に敗れたりした権力者たちは次々に島流しされましたが、官位にあわせた給与が国から与えられたそうです。しかも権力を持った人物の場合は島民からも歓迎されたため、酒池肉林のやりたい放題だったとか。羨ましですね。
室町~戦国時代の島流し
室町~戦国時代では流罪そのものが消滅します。
中央政権が機能しなくなったことで、地方への威令が届かなくなったためです。
地獄だった江戸時代の島流し後の生活
政権が江戸幕府へと集中したことで、島流しも再開。
※参考
蟄居、島流し、切腹など江戸時代の武士への刑罰にはどんなものがあったの?
江戸時代にはどんな刑罰があったのでしょうか。[caption id="attachment_77241" align="aligncenter" width="660"] 歌川国芳「高僧御一代…
江戸時代の島流しが本格化したのは、8代将軍・徳川吉宗が公事方御定書で法制化したことからです。また、当時は島流しではなく「遠島」と呼ばれ、場合によっては死罪よりも重い罪となります。
島流しとなった者は縄で縛られ、流人船と呼ばれる船に乗せられます。
船内には受刑者がぎゅうぎゅうに詰められ、疫病が蔓延することでクラスターを引き起こすことも多く、生きて島までたどり着けるのは半分ほどでした。そのため、流人船は「地獄の船」と称されることも。
たとえ生きて辿り着いたとしても迎えの船も来ず、脱出不可能なサバイバル生活を送る道しか残されていません。
そのため島流しされた者の多くが、飢餓で死んでいったのです。
時代によって雲泥の差がある「島流し」、皆様もどうせなら、平安時代の権力者になって流されてみたいと思いませんか?
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