935年勃発説は時代遅れ!?「平将門の乱」が起きた本当の理由と最新の学説を紹介【前編】:3ページ目
国司を襲った理由は?
そして第二の局面です。939年、将門は国司を襲撃して新皇を名乗ったとされています。しかし、事はそう単純ではありません。
そもとも、なぜ将門は国司を襲ったのでしょうか。
現在五十代の方で、子供の頃に読んだ人も多いと思われる『学習漫画「日本の歴史」』という本があります(考証・解説和歌森太郎、作画カゴ直利、集英社)。
これによると「都にのぼって検非違使になろうとしたが、田舎者扱いされて拒否された」ため、恨みをのんで関東にもどって乱を起こした、と書かれています。
しかしこれは『神皇正統記』や、その影響を受けたと思われる『日本外史』などに見られる逸話で、信憑性に欠ける物語です。
さらにNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』では、周囲の豪族たちに担ぎ上げられた(新皇に祀り上げられた)将門という演出も見られました。
しかしこのあたりも想像の域を出ません。詳しくは【後編】で解説します。
【後編】の記事はこちら↓
935年勃発説は時代遅れ!?「平将門の乱」が起きた本当の理由と最新の学説を紹介【後編】
平将門の乱の「第二の局面」【前編】では、935(承平5)年に勃発したとされている、いわゆる平将門の乱が発生するまでの経緯を見てきました。[insert_post id=226892]…
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社