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初登頂と思ったのになんと平安時代に登ってた!日本山岳史の謎「剱岳山頂に錫杖と剣の遺物」

初登頂と思ったのになんと平安時代に登ってた!日本山岳史の謎「剱岳山頂に錫杖と剣の遺物」

地獄の剱岳には空海も登れなかった?

剣岳を含めて立山室堂は、立山信仰が栄えた場所。
『立山開山縁起』によると、飛鳥時代から奈良時代にかけて生きた佐伯有頼(さえきのありより)という者が霊示を受けて開山。越中国司の父を持つ有頼は、鷹と熊に化けた不動明王と阿弥陀如来の導きで立山室堂を発見しました。

阿弥陀如来は、「乱れた世を救おうと、ずっと前からこの山でお前を待っていた。この山を開き、鎮護国家、衆生済度の霊山を築け」と告げ、立山は開山されて広く認知されていきます。立山は「あの世」と称され、「立山曼荼羅」には地獄と極楽が描かれました。その中で、地獄の険しい針山として描かれているのが「剱岳」です。

同じ平安時代の空海(弘法大師)が草鞋千足を費やしても登頂できなかった、という伝説があるほどです。空海と同時代の僧が、登山道も装備も道具も貧者な時代に、どのルートからどのように登ったのでしょうか。実際に剣岳に登ったことのある筆者が、推測します。

3ページ目 立山からの別山尾根 、北アルプス三大急登の早月尾根

 

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