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幕末の「江戸城無血開城」はウソ!城は焼け、庶民も被害を被った薩摩による「攻撃」があった

幕末の「江戸城無血開城」はウソ!城は焼け、庶民も被害を被った薩摩による「攻撃」があった:2ページ目

西郷隆盛によるゲリラ攻撃

「江戸城無血開城」までの経緯で、江戸城と城下町は決して無傷では済みませんでした。どういうことかというと、この直前に江戸の街では、薩摩藩によるゲリラが暗躍していたのです。

この元凶は西郷隆盛です。大政奉還が行われた直後の1867年11月あたりから、彼は配下に司令を出して江戸の町中で強盗行為を働かせていました。

その理由は、幕府から攻撃させることでで、武力討幕を正当なものにするためでした。つまり幕府に対する挑発行為です。

そもそも薩摩藩は、大政奉還によって肩透かしを食わされた形になっていました。しかし実際には慶喜は大政奉還を行ってもその権威を失っていなかったのです。薩摩藩はもう打つ手がなく、逆に追い詰められた形でした。

そこで、武力討幕を可能にするためにゲリラ攻撃による挑発を行ったのです。

この、江戸の街での強盗・略奪を指揮した人物の一人が相良総三です。彼は江戸の薩摩藩邸に無法者たちを雇い入れ、江戸の町で民間人を襲うよう指示しました。

この時のターゲットは幕府関係者に限られていました。しかし、実際には幕府とは直接関係のない商家も強盗や放火の被害に遭っています。特に日本橋は被害が大きく、11月14日には両替商が1万5千両を奪われるなどしました。

3ページ目 火災と暴走

 

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