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幕末の「江戸城無血開城」はウソ!城は焼け、庶民も被害を被った薩摩による「攻撃」があった

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火災と暴走

こうして江戸の町の治安は悪化します。決定的な事件となったのは江戸城の火災です。12月23日、江戸城の二の丸御殿のあたりで火災が発生し、二の丸全体が焼け落ちたのでした。

さらにこの火災と同日には庄内藩屯所が銃撃されており、幕府は25日から庄内藩に薩摩藩邸を包囲させました。

ちなみに西郷は、もともと朝廷から討幕の密勅を授けられていましたが、大政奉還によってこれがうやむやになると、江戸の町での略奪や放火を中止するように命令を出したのは前述の通りです。

しかし、なぜか薩摩藩の過激派たちはこうした略奪・強盗・放火をやめませんでした。このことから、江戸での略奪行為は手下たちの暴走によるもので、西郷は彼らをコントロールし切れていなかったのではないかと言われています。

こうして見て行くと、江戸城無血開城と言ってもそれは表向きのものだったことが分かります。実際には江戸の庶民たちは無法者たちの犯罪行為に苦しめられていたのであり、無血開城はあくまでも軍による全面衝突は行われなかったという意味に過ぎないことが分かるでしょう。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

 

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