花山天皇の女御(おんな)は早逝した藤原忯子だけじゃなかった!それぞれの生涯をたどる【光る君へ】:2ページ目
花山天皇の女御・藤原姚子
天禄2年(971年)生~永延3年(989年)5月29日没
藤原姚子(ちょうし/とうこ)は藤原朝光(あさてる)と重明(しげあきら)親王王女の娘として生まれました。醍醐天皇の孫娘に当たります。
永観2年(984年)に入内し、麗景殿を住まいとしました。大層な鳴り物入りで嫁いだものの、肝心の花山天皇からは寵愛を受けられません。
およそ1ヶ月で内裏を離れてしまいましたが、花山天皇は何も言わなかったそうです。心底どうでもよかった感が否めませんね。
住んでいた場所から堀河女御とも呼ばれ、永延3年(989年)5月29日に19歳の若さで世を去ったのでした。
娘に先立たれた朝光の哀しみはいかばかりだったでしょうか。
花山天皇の女御・藤原 諟子
生年不詳~長元8年(1035年)6月21日
藤原諟子(しし/ただこ)は生年不詳、藤原頼忠(よりただ)と厳子(げんし)内親王の間に誕生します。
永観2年(984年)に入内し、承香殿を住まいとしました。
特別に寵愛されることはありませんでしたが、その代わりなのか花山天皇から何かと目をかけてもらっていたと言います。
熱しにくく、冷めにくい。そんな関係だったのかも知れませんね。
和歌を巧みにしたことから『後拾遺和歌集』など勅撰集に3首の和歌が採用されています。
そして花山天皇の女御たちでは最も長寿を誇り、長元8年(1035年)6月21日に世を去りました。
生年不詳なので確定ではありませんが、入内時点で15歳(天禄元年・970年生まれ)だった場合、66歳という計算になります。かなりの長寿ですね。