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ほぼモブキャラ扱い!?大河「光る君へ」で紹介文が短すぎる平安貴族・藤原文範とはどんな人物だったのか?

ほぼモブキャラ扱い!?大河「光る君へ」で紹介文が短すぎる平安貴族・藤原文範とはどんな人物だったのか?:2ページ目

88歳まで生きて、7代の天皇陛下に仕える

藤原文範は延喜9年(909年)、藤原元名(もとな)と藤原扶幹女(すけもとのむすめ)の間に誕生しました。

若い頃は中納言・藤原敦忠(あつただ)の家司(けいし。執事)として仕え、その死後も7代の天皇陛下にお仕えします。

第60代・醍醐天皇
第61代・朱雀天皇
第62代・村上天皇
第63代・冷泉天皇
第64代・円融天皇(坂東巳之助)
第65代・花山天皇(本郷奏多)
第66代・一条天皇(懐仁親王)

まひろ(紫式部/吉高由里子)が天禄元年(970年)生まれ説を採っているため、文範は61歳の年齢差です。

第4回放送「五節の舞姫」時点の永観2年(984年)ではまひろが15歳だから76歳になります。

永年にわたり朝廷の要職を歴任し、歴代天皇陛下をお支えしてきました。

そして長徳2年(996)に88歳で世を去ります。最終官位は従二位・中納言、本当にお疲れ様でした。

ごくざっくり藤原文範の生涯をたどると、こんな感じになります。あまり波乱が見られませんでしたね。

平凡ながら愚直に勤め上げた仕事人。そんな印象を受けます。

しかし堅物一筋かと思いきや、『大鏡』にはこんなエピソードが残っていました。

3ページ目 『大鏡』が伝える藤原文範の不倫?エピソード

 

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