やはり有能だった将軍・徳川慶喜!第二次長州征伐が失敗しても江戸幕府が権威失墜を免れた理由:3ページ目
戊辰戦争での敗北
また、慶喜が軍制改革のためにメスを入れたのはそれだけではありません。彼は軍役制度も大きく見直し、戦闘部隊~将軍の親衛隊を銃隊へと再編します。そして幹部養成のための士官学校を創設すると、旗本たちから志願者を募りました。
この結果、江戸幕府は歩兵・騎兵をあわせて八個連隊を主とした陸軍を完成させたのです。これは最盛期には一万を超える兵力になっていたともいわれており、当時の日本では最大級と言える規模の軍隊でした。
このように見ていくと、確かに第二次長州征伐で幕府の権威は低下したものの、それは決定的なものではなかったことが分かります。
むしろ江戸幕府・そして徳川慶喜は、第二次長州征伐の失敗をバネに軍の装備や軍制を大胆に改革し、その力を強めていったのです。
では、そこまでやっておいてなぜ戊辰戦争では惨敗してしまったのか? という疑問が湧いてきますね。
戊辰戦争の際、幕府軍の兵士の装備や兵器は旧態依然としたものだったので敗けたのだとする説があります。しかしこれは誤りで、当時の幕府軍の装備も、上記の慶喜の改革のおかげで最新鋭のものが揃っていました。にも拘わらず幕府軍が敗北したのは、ひとえに指揮官のミスによるものだったのです。
装備や制度が完璧だったにも関わらず、江戸幕府はヒューマンエラーによって敗北したと言えるでしょう。
参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年