やはり有能だった将軍・徳川慶喜!第二次長州征伐が失敗しても江戸幕府が権威失墜を免れた理由:2ページ目
徳川慶喜による軍備・軍制改革
この、長州征伐の敗北後に将軍職に就いたのが徳川慶喜です。幕府の権威回復のために、彼はさまざまな改革を実行しました。特に力を注いだのが軍備・軍制改革です。
実は徳川幕府は、すでに1862年(文久2年)から近代的・西洋的な軍備を整えていました。ただその動きはゆっくりしており、兵士もいまいち頼りない感じだったのです。
そこで、慶喜が軍備改革のために助力を求めたのがフランスです。もともと親しい関係にあったフランスから、幕府は近代兵器の輸入を進めていきました。
それだけではなく、フランス公使のロッシュを通してフランスの軍人を教官として雇い入れ、兵士の装備も昔ながらの鎧兜から洋風の軍服へと変えました。ちなみにフランス公使のロッシュは、長州征伐の際も幕府に援助を行っています。
さらに横浜に伝習所を設立すると、西洋式の訓練もスタートさせました。