考えが甘すぎ!?幕末期に明け渡された江戸城、実は「すぐ返してもらう」つもりだった【後編】:2ページ目
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ふたを開けてみれば…
4月21日には、東征大総督府トップの有栖川宮熾仁親王が江戸城入りします。4月末には、大総督府参謀で、融和路線を採っていた林玖十郎が罷免されました。
この頃には江戸・関東の旧幕軍はおおむね鎮圧されており、5月末には徳川家の駿河への移封を公表。さらに7月には「東京遷都の詔」が発布され、江戸への遷都が決定しました。
こうして江戸城が返還される見込みは完全に失われ、その上ふたを開けてみると、徳川家は駿河70万石にまで大きく減封されていました。
江戸城の明け渡しそのものはあっさり終わったというのが一般的なイメージです。しかし実際には、このように新政府の思惑と旧幕府側の思惑には大きなすれ違いがありました。双方の間では、ほぼ一か月の間に江戸城の返却をめぐる駆け引きがあったのです。
おそらく、江戸城も将軍ももう返ってくることがないと分かった時、勝海舟をはじめとする旧幕臣たちはとても悔しい思いだったことでしょう。
参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年
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