悲劇の英雄・木曾義仲の末裔?徳川家康に代々仕えた山下一族の勇士たち【どうする家康 外伝】:3ページ目
山下一族4代目・山下綱義
●綱義
彌蔵 又十郎 母は某氏。
広忠をよび東照宮につかへたてまつる。天文十八年三月十九日三河国安城にをいて戦死す。法名玄英。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
生年不詳〜天文18年(1549年)3月19日没。
母親は不明、通称は弥蔵または又十郎。松平広忠(家康父)そして家康に仕えました。
が、まだ家康が元服前の天文18年(1549年)3月19日、安城合戦(織田家との戦闘)で討死してしまいます。法名は玄英。
山下一族5代目・山下義勝
●義勝
彌蔵 庄大夫 母は某氏。
東照宮につかへたてまつり、関原をよび大坂両度の御陣にしたがひたてまつる。寛永四年十月二十三日死す。年七十。法名道仲。四谷の源慶寺に葬る。後代々葬地とす。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
永禄元年(1558年)生〜寛永4年(1627年)10月23日没
母親は不明、通称は弥蔵または庄大夫。あれ、又の字は消えましたね。また、諱から綱の字も消えました。何か意味ありげにも思えます。
家康に仕え、関ヶ原合戦・大坂の陣(冬夏とも)に従軍しました。
70歳の長命を保ち、四谷の源慶寺に葬られます。法名は道仲。読みは「どうちゅう」と思われますが、祖先の木曾義仲を意識している感じがいいですね。