悲劇の英雄・木曾義仲の末裔?徳川家康に代々仕えた山下一族の勇士たち【どうする家康 外伝】:4ページ目
山下一族番外編・山下綱次
綱次
彌太郎 與三兵衛 母は某氏。
東照宮に仕へたてまつり、寛永十五年八月二日死す。年九十四。法名受珍。四谷の南春寺に葬る。これかつて綱次が開基せるところなり。のちこの寺を早稲田にうつさるゝのとき改葬す。
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
天文14年(1545年)生〜寛永15年(1638年)8月2日没
母親は不明、通称は弥太郎または與三兵衛。山下義勝の兄(恐らく腹違い)に当たります。
家督を継げなかったのは、母親の身分ゆえでしょうか。
生前の事績はほとんど知られておらず、94歳の長寿を保ちました。
法名は受珍、かつて自分が開基した(スポンサーとなった)四谷の南春寺に葬られます。
軍歴が詳らかでないため武士としては今ひとつだったのかも知れません。しかし寺の開基となるくらいですから、経済的には成功したのでしょう。
後に寺が早稲田へ移転した際、改葬されたそうです。
終わりに
【山下一族略系図】
……木曾義仲……(初)山下義綱―(2)山下綱勝―(3)山下正綱―(4)山下綱義―山下綱次・(5)山下義勝……
※『寛政重脩諸家譜』巻第三百八十八 清和源氏(支流)山下
以上、徳川家康に代々仕えた三河の山下一族について紹介してきました。
真偽のほどはともかく、木曾義仲の末裔が戦国武将として活躍していたという話はワクワクしますね!
NHK大河ドラマ「どうする家康」には登場しないでしょうが、山下義勝が画面のどこかにいるかも?と思いながら鑑賞するのも楽しそうです。
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第2輯』国立国会図書館デジタルコレクション