最期はせめて夫の前で…平安時代、前九年の役で命を散らした安倍則任の妻は、どんな末路を辿ったのか【前賢故実】:2ページ目
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彼女は夫・則任に言った「あなたもこの子(男児)も助命されはしないでしょう。私ひとりで命を永らえるわけには参りません。どうかあなたの前で死なせて下さい」と。
そして男児を抱えると、深淵に身を投げ命を絶った。これを見て、則任はじめ配下の将兵らは涙を流さずにはいられなかったそうな。
……以上が彼女のすべてです(他に文献をご存じの方がいたら、ぜひご教示ください)。
夫も息子も助からないなら、せめて家族一緒に死にたい。その心映えに則任ら一同は感動し、最期の死力を奮い立たせたことでしょう。
終わりに
やがて康平5年(1062年)9月17日に安倍一族の棟梁・安倍貞任が討死、宗任が降伏したことによって前九年の役は終結しました。
昔から「勝てば官軍、負ければ賊軍」とは言うものの、負けた側にも正義はあり、守りたかった誇りや信念があったのです。
家族を奪われ、敵に辱められてまで命を永らえたくない。彼女の最期は、言わば尊厳と矜持を守り抜く最後の抵抗と言えるでしょう。
その生き方は烈女の鑑として後世に伝えられ、こうして『前賢故実』に記されたのでした。
『前賢故実』には他にも魅力的な人物が何百人も収録されているので、また改めて紹介したいと思います!
※参考文献:
- 菊池容斎『前賢故実』国立国会図書館デジタルコレクション
- 高橋崇『蝦夷の末裔 前九年・後三年の役の実像』中公新書、1991年9月
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