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中世最後の国人一揆!豊臣秀吉による朝鮮出兵への反発で起こった『梅北一揆』の首謀者と一揆後の影響

中世最後の国人一揆!豊臣秀吉による朝鮮出兵への反発で起こった『梅北一揆』の首謀者と一揆後の影響:3ページ目

神になった梅北国兼

秀吉から悪逆人と名指しされた国兼でしたが、地頭を務めていた大隅帖佐郷山田では神として祀られました。現在も鹿児島県姶良市には梅北神社があり、国兼が祀られています。

また、国兼の妻は死に瀕しても取り乱さなかったことからルイス・フロイスから称賛されました。

一揆の目的は朝鮮出兵への反発?豊臣政権への反発?

梅北一揆の目的は朝鮮出兵への抵抗から起こしたと言われていますが、国兼が襲った地は加藤清正や小西行長といった秀吉家臣の領地のみです。

そのことから考えると、国兼の目的は朝鮮出兵の反発と違ったものなのかもしれません。

また、このような大規模な一揆を島津歳久の家来に率いられるかと思うと不思議に思います。国兼の後ろにもっと大きな力が働いていたかもしれませんが、真相は闇の中です。

 

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