鎌倉時代のUMA(未確認動物)!?「9本足の馬」を献上された源頼朝のリアクションは【鎌倉殿の13人 外伝】:2ページ目
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「この馬を、陸奥国外浜に連れて行き、解き放ってくるがよい」
せっかく淡路国から遠路はるばる献上されたのに、逃がしてしまうなんてもったいない。訝しがる時広に、頼朝は言いました。
「確かに、かつて周王朝(中国大陸の古代国家)には足の32本生えた馬が献上されたそうな」
「それなら、足の本数が少ないこたびの馬も、受け入れてもよいのでは?」
「しかしそれは8頭の馬が合わさったものであり、1頭あたり4本足×8頭=32本でごく自然な数であった」
いや、その理屈もどうかとは思うのですが……。
「一方でこたびの馬は、1頭で9本も足を生やしており、明らかに異常である」
「ならば、唯一無二の吉兆やも知れませぬ」
食い下がる時広に、頼朝は言いました。
「星を占わせたところ、房星(そえぼし)の相性が悪いとのこと。そのような馬を手元に置き続ければ遠からず不幸が起きよう」
こうして9本足の馬は問答無用で鎌倉を追放されてしまうのでした。
馬にしてみれば、故郷の淡路国へ帰してくれればいいものを、とんだ迷惑以外の何物でもありませんね。
「あーあ、瀧挑もっとも営となすべきではなかろうか(不吉も一周回って逆に幸運の兆しかも知れないじゃないか)」
時広は残念がったものの、馬がその後どうなったのか、誰も知らないということです。
終わりに
以上、『吾妻鏡』より源頼朝に献上された9本脚の馬エピソードを紹介してきました。実際のところ、この馬は単なる奇形だったのでしょうか。
あるいは、何か天意を知らしめるために遣わされたものかもしれませんね。もしそうなら、天がこの馬をして何を伝えたかったのでしょうか。史料からそれに当たりそうな出来事を調べ、思いを馳せるのも一興です。
他にもまた変わった生き物のエピソードを発見したら、改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡6富士の巻狩り』吉川弘文館、2009年6月
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