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色々なマナーや習慣があった、平安時代の恋愛の風習「後朝(きぬぎぬ)の別れ」とは?

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百人一首にも、源氏物語にもみられる後朝の歌

後朝の歌は、さまざまな文学のなかにもみられます。たとえば「百人一首」の52番・藤原道信朝臣の「あけぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな」という歌があります。

これは「夜が明ければまた日が暮れる。そしてまたあなたと遭える。それを知っていながら、まだあなたと別れなければならない夜明けが恨めしい」という意味。後朝の別れのつらさがひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。

また、『源氏物語』にも、光源氏が「見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるる我が身ともがな」という歌を詠んでいます。これは、「こうして愛し合うことがこの先なかなか訪れないなら、こうしてお逢いしている夢の中にわが身を紛れさせてしまいたい」という意味で、彼が義母と逢瀬をした後に詠まれました。

光源氏の、甘く痛烈な思いが伝わってくるのではないでしょうか。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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