【葉隠】武士は食わねど高楊枝…しかし生活苦で家臣が強盗、戦国大名・鍋島直茂かく語りき【後編】:2ページ目
用之助、何しに殺し申すべきや……
……御意を請け候衆迷惑致し、引き取り罷り帰り、勝茂公へ有の儘に申し上げられ候へば、「さてさて勿体なき事に候。何をがな孝行申し上ぐべしもこそ存じ候に、左様に思召さるる用之助、何しに殺し申すべきや。早々三の丸へ罷り越し、即ち差し免し候通り申し上げ候様に。」と仰せ付けられ、用之助差し免され候段御耳に達し候へば、「子ながらも過分なる事、これに過ぎず候。」とて御本丸の方を御拝み遊ばされ候由。
※『葉隠聞書』第三巻より
「困ったなァ……」
直茂夫妻の悲しみを目の当たりにして、家臣たちは困り果てます。
「殿を悲しませたくはないが、さりとて法を曲げるわけにも参らぬ」
そこで若殿である鍋島勝茂(かつしげ)に指示を仰ぎました。
「左様か。日ごろ親孝行をしたいと思っていたところ、父上がそこまで思っていた用之助を殺す訳にはいくまい。ただちに(勝茂がいる)三の丸へ呼び出し、赦免の旨を申しつけよ」
「「ははぁ」」
果たして解放された用之助は、厚く礼を述べて帰宅します。
「父上、子の分際で出過ぎた真似をお許し下され」
勝茂はそう言って、直茂のいる本丸へ向かって拝礼したということです。
終わりに
以上、『葉隠』が伝える齋藤用之助のエピソードでした。
情状酌量の余地があるとはいえ、強盗を働いておきながら無罪放免とは少し腑に落ちませんね。皆さんなら、どんな判決を下しますか?
結局は情にほだされて釈放してしまいましたが、そもそも彼らが食うに困らぬよう取り計ることが肝要ではないでしょうか。その辺りのエピソードは又の機会に。
とは言え、一国の主になっても家臣たちの忠義を忘れていない直茂の温情を思えば、多少の生活苦でも強盗など働かなくなるかも知れません。
治にあって乱を忘れず。常在戦場の精神は鍋島家代々に受け継がれ、君臣の堅い絆が二世紀半の歳月を越えて、幕末維新の原動力となったのでした。
【完】
※参考文献: