昔は少女を神への生贄に!?大阪府・野里住吉神社で行われる「一夜官女祭」とは?:2ページ目
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7年後、一人の武士の登場が転機に
人身御供の習慣が始まって7年後、村を通りかかった一人の武士(岩見重太郎とも言われています)がこの話を聞き、「神は人を救うが人を犠牲に求めることはない」と述べ、自分が少女の身代わりになると言ったのです。
翌朝、村人たちが様子を見に行ってみると、武士の姿はなく、唐櫃から血の跡が続き、それをたどっていくと狒々(ひひ)または大蛇が死んでいたといわれています。この伝説は、講談でも「岩見重太郎の狒狒退治」として語り継がれています。
その後村には風水害や疫病がなくなったといわれ、村人たちは武士への感謝の気持ちを込めて、現代まで神事として伝えています。
現在の「一夜官女祭」は?
現在の「一夜官女祭」は、2月20日に行われています。氏子によって選ばれた7人の少女(一夜官女)とお付きがその年の「宿」で当矢の式(親子の別れの盃)を行い、町を歩いて神社へ向かい、神事を行います。現在では、官女に選ばれることは名誉なこととされています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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