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小田原攻めと「奥州仕置」はなぜ起きた?豊臣秀吉の天下統一事業のラストを飾る2つの事件

小田原攻めと「奥州仕置」はなぜ起きた?豊臣秀吉の天下統一事業のラストを飾る2つの事件

奥州仕置の始末

さて、次に奥州仕置ですが、これは先述の通り反乱事件とそれに対する鎮圧のことを指します。

小田原征伐を経た秀吉は、宇都宮国綱と共に小田原から下野国に向かい、宇都宮城に着陣します。そして奥州の国割りを行いますが、この時、小田原攻めに参陣していた南部・最上・津軽氏は所領を安堵されます。しかし、参陣が遅れた伊達政宗は減封、不参加の葛西氏や大崎氏は改易処分となりました。

これに対して、改易されたところの家臣らが決起して各地で一揆を起こします。これは葛西・大崎一揆和賀・稗貫一揆などと呼ばれる大規模なものでした。

さらに南部家中の九戸政実も、秀吉によって一方的に下された処分に不満を持ち、九戸城で秀吉に対して反旗を翻します。

これに対し、秀吉は奥州仕置軍を派遣して鎮圧。九戸城に籠城した兵たちは、奥州仕置軍によってことごとく処刑され、城も焼失しています。

秀吉の天下統一は、こうしてようやく成立したのです。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

 

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